写真は小豆島、中山の棚田です。
夏の遅い午後でした。
わたしはこんな風景が好きです。
しかし米の価値がこの棚田ができたころより相対的にみて圧倒的に下がってしまった今日、「米を生産する」という機能に対する支払いだけでこの風景を維持していくことはできません。
維持コストをまかなえなくなった農家は農業から撤退します。
そうして少しずつ、こんな風景が日本から消えてきたわけです。
そうはいっても特に価値のあるものにはそれを守るコストを負担しようとする人がいます。
価値は希少性が高まれば上がるものですから、棚田のある風景が少なくなればなるほど残っている棚田の価値も上がります。
けっきょく価値ある風景はどこかに残るでしょう。
それでいいのか、という価値判断はまた別です。
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