2013年6月6日木曜日

センター試験がなくなるかもしれない話

検討を始めた、という段階だそうですが、文科省がセンター試験を廃止して年数回の到達度テストなるものを大学入試に使うのはどうだろうかと考えているようです。
ちょっと拾っただけでも、一発勝負で合否を決めるよりはよいとか、テストを作成する側の負担が増えるとか、色々な意見が目に入ります。
文科省の目的は大学側が受験生の学力をより正確に把握できるようにすること、だそうです。

わたしからはさしあたりふたつくらい言いたいことがありまして、ひとつはけっきょく教育制度全体として何を達成したいのかについて、もうひとつは飛び級についてです。

日本ではかなり多くの人が大学に進学するようになって、大学卒業と同時に就職するのが一般的なロールモデルだと思います。
そこで職を探す学生側は就職先が見つからない、募集をかける企業側はいい人材が見つからないといいます。
この事象に対する指摘のひとつとして学生が企業側からみて魅力的でない、といういい方があります。
このことばを自分も含めて個々の学生に対して向ける分には個々に原因があって改善すべき点も多々あろうと思うので許容できると思いますが、総体としての「学生」に向けるのは的外れだと考えています。
今の「学生」をつくったのは過去の世代が意識的、無意識的につくってきた教育制度だからです。

そこで教育制度を今後変えていくとすれば、その目的のひとつは求められている人材と大学(または高校)までの教育課程を経て育成された人材との質的なギャップを埋めることだといっていいでしょう。
そう考えた時にこのセンター試験廃止という案がどんな効果を持つのか、わたしにはよくわかりません。
大学側が受験生の学力を正確に把握したところで、大学内での教育に何も変化がなければあまり意味はないように思います。

そこで考えたのが飛び級についてです。
センター試験に代わって導入される到達試験が学年に関係なく受験でき、そこである一定の得点をとることを高校卒業の要件とすれば、例えば高校を2年で卒業して大学に進学するという選択を可能にできるのではないかということです。
履修単位についても卒業要件を緩和する必要がありそうですし、他にも課題はあるかと思いますが、いずれにしても飛び級というのは個人にとっても社会にとっても利益がありそうです。

教育機関が短くなり、就職するまでの期間が短くなれば、それだけ働く期間が長くなります。
教育にかかる費用も少なくなります。
収入を得る時期も早まります。

研究者を目指している身としてはまともな収入を得られるまでに時間がかかることがひとつ苦しいところなので、多少なりとも早い年齢で収入を得られるようになる(かもしれない)というのは魅力的なように思います。


いずれにせよこの改正だけで他の部分が何も変わらなければほとんどこの制度変更の意味はないような気がします。

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