2013年6月24日月曜日

お金にならないと続かない

「よいことだから、社会的に価値のあることだから、いくらお金をかけてもやるべきだ」

正しいと思いますか。

このテーゼを正しいと思うか、そんなことはないと思うか、は実はどうでもいいとわたしは考えています。
でも、よいことや価値のあることを「続けてゆく」のであれば、冒頭のテーゼは全否定してかからなければならないでしょう。

何かをするためにはたいていお金が必要です。
お金がなくても時間があればできるものもありますが、勤め人ならその時間も仕事をすればお金になったと捉えて(これを機会費用といいますが)お金ということばで集約しておきます。

こんないいかたをするとよいことや価値のあることなんかやらなくてもいいといっているようにみえるでしょうか。
もちろんわたしの主張はそんなところにはありません。
よいことや価値のあることがたくさん行われるほうが望ましいです。
しかしそれはコストを度外視して、あるいは嫌われるいいかたをあえてすれば儲けを無視して行われるべきではなく、またそれでは成立しないでしょう。

理由は2つ。

ひとつにはおなじよいこと、価値のあることでもより費用効率的な方法があるかもしれないということです。
世界の資源は有限ですからなるべく効率的に利用したほうがよいのはいうまでもありません。

もうひとつはよいこと、価値のあることこそお金にすべきだということです。
好むと好まざるとにかかわらず、この世界の大部分は資本主義でできています。
お金になるものに人もモノも集まってきます。
たとえ薄利でも儲かるようになっていなければ人もモノも離れていってしまいます。

よいことや価値のあることをするなら、それがなぜよいのか、どう価値があるのかを他の人に説明し、わかってもらうことが間違いなく必要です。
独善的にやっていてもしかたがない。


もっともわたしは文章によるコミュニケーション以外は苦手なのでこういう形でしか話ができないんですけどね。

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