2013年5月14日火曜日

撮ることと自己主張

写真を撮るおもしろさは、自分が撮った写真は自分がそこにいたことの証明なのに、撮った写真に自分は写っていない、というところにあると感じます。
自分の姿を見せないことで自分の存在を主張する、矛盾したありかたがおもしろい。
携帯が普及してしまってからは自画撮りが簡単にできるようになってそんなあり方も崩れてきているようですけれどもね。

人はみな、それぞれに違った色眼鏡で世界を見ているようです。
その「見方」が直接あらわれるのも写真のおもしろみだと思います。
海外から来た観光客の方の中には家の玄関先にねこよけとして置いてある水で満たしたペットボトルや、住宅街であちらこちらに伸びている電線・電柱に感じるものがあってシャッターを切る方もいるそうです。
日本にしかない風景だからだとか。
逆に日本人が海外で、現地の人たちにとっては当たり前のものに関心をもつこともあるでしょう。


ねこのあくび


幸せな午睡


同じ猫を撮っても違う人が撮れば違う写真になります。
同じ内容を表現しようとしても違う人が書けば違う文章になるのと同じです。
思い通りに自分を表現したければ最低限の作法を学ぶ必要があるところもまた共通かもしれません。

なお上の写真2点は違う場所で違う猫をわたしが撮ったものです。
本文の内容とは特に関係ありません。
愛らしい猫を楽しんでいただけたなら幸いです。

0 件のコメント:

コメントを投稿